私の同級生で、LINEのアカウントを持っていない友達が2人いる。
そのうちの一人は去年の春までやっていた。
でも、ある日突然こんなことを言い出した。
「一つのアプリがコミュニケーションを独占するのは危険だ。
俺は階級闘争する」
そう宣言して、翌日にはLINEを退会した。
もう一人は、そもそもLINEで連絡を取る必要がない程度に頻繁に会っていたのでLINEやっていないこと自体最近になって知った。
『いいなー、私もみんながやれって言うから仕方なく始めて止めるに止められないんだよねー』
と話したら
「典型的なアーキテクチャ依存だねー」
と返された。
彼女の呪文のような言葉を、私はそのまま既読スルーしてしまった。
そう、私もLINEはやりたくない。
というか、「連絡」されるのが実は嫌いだ。
誰も私のことなんて気にかけなくていいし、ほっとかれていたい。
既読か未読か分かるなんて余計なお世話でしかない。
そんなことをおもいつつ、現実には私自身も「連絡」をするし、むしろ積極的に加担する。
なんだかんだ言って手軽に「会話」できるチャットアプリは便利だし、私が「連絡」を――こんなことする自分を嫌いつつ――よく催促もする。
時代が進むにつれて、あるいは私が大人に近づくにつれて「連絡」の総量は増えこそすれ減ることは決してないだろう。
現代は”コミュ力”の時代だ。報・連・相は社会人*1の必須スキルらしい――私はまだ高校生だが。
正直、LINEのメリットは「みんなが使ってる」のただ一点だし、むしろそれがコミュニケーションするときに足かせとなっている/これからなってくる気がする。
友人や何かしらのコミュニティで一人でもLINEやってない民がいるとLINEグループが使えず、いまだにメールでやり取りすることになる。たしかに不便だし「いや何が階級闘争だ、お前のせいで連絡が滞っとるんじゃ」と言いたくもなる(というか何回か言った)。
でも、そのおかげで常時「連絡」に備えていなければならない、というプレッシャーも軽くなるのは事実として感じる。
コミュニケーションの独占支配を打破せよ。あながち階級闘争というのも間違っていないのかもしれない(納得はしていない)。
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