春が来た。
桜が咲いて、桜が散って、木々の緑が輝いてみえる。
私は春が嫌いだ。
なんで春が嫌いなんだろう? 自分でもよく分からない。
でもなんとなく、幸せそうな春の街が苦手だからかもしれない。
春は出会いの季節、と誰かが言う。
学校は新学期が始まった。
新しいクラスで、みんながお互いに――力関係を探り合いながら――仲良くなろうとしている。
私は人と仲良くなるのが苦手だ。
できないことはないけど、親しくなるまでに時間がかかる。
自分に魅力がないからだと私は思っているが、そんなことは相手が知るわけもないし、そもそもみんな私に興味があるわけでもない。
なんとなく、私と他者の間に見えない壁がある気がする。
大げさに言えば、《社会》と私との間にはとても小さな――しかしとても決定的な齟齬があるように、理由もなく思う。
なんでだろう?私は普通に暮らしたいし、皆と同じように人生を歩みたい。
でもなんとなく、そんなことできない、お前は《社会》に溶け込めない、と暗示をかけられている。
そんな妄想にとらわれている。
じゃあ、その《社会》ってなんだろう?
他者――私にとって、得たいの知れない存在である人間が集まれば《社会》になるのだろうか。
私は《社会》について知りたい。
そんなことを、ちっぽけな私は今考えている。
春が来た。
山も川も、ひょっとしたら私たちの《社会》も、幸せに包まれてみえる。
私は春が嫌いだ。
幸せそうな《みんな》と幸せになれない私の間の壁が、否応なしに見えてしまう春が嫌いだ。
いつか私にも春を祝える日が来ればいいなと思いながら、春が過ぎ去るのを待ち続けている。